史跡 津軽氏城跡 堀越城跡は、青森県弘前市に所在する国指定史跡で、弘前藩初代藩主・津軽為信が生涯最後の居城とした城跡です。戦国時代から江戸時代初期にかけて、津軽地方の政治・軍事・行政の中枢として重要な役割を果たしました。現在は史跡公園として整備され、往時の城郭構造や歴史を身近に感じられる貴重な史跡となっています。
「堀越」という地名が史料に初めて登場するのは、南北朝時代の建武4年(1337年)にさかのぼります。当時の記録には「堀越に楯(館)を築く」とあり、この地が早くから軍事的に重要な場所であったことがうかがえます。ただし、この時代の詳細な城の姿については、いまだ不明な点も多く残されています。
16世紀後半、津軽地方を支配していた南部氏の家臣であった大浦為信(のちの津軽為信)は、独立を志し勢力を拡大していきます。この過程で再び注目されるのが堀越の地です。弘前藩の官撰史書『津軽一統志』によれば、元亀2年(1571年)、為信は堀越城を拠点として石川城を奇襲し、津軽統一への道を大きく切り開きました。
天正19年(1591年)頃、為信は豊臣秀吉から正式に大名として認められ、津軽一円の領地を安堵されます。これを受け、文禄3年(1594年)、為信は大浦城から堀越城へ本拠を移し、大規模な改修を実施しました。これにより堀越城は、名実ともに津軽統治の中心拠点となります。
堀越城は、為信の没後もその子である二代藩主・津軽信枚の時代まで使用され、慶長16年(1611年)に高岡城(現在の弘前城)へ本拠が移るまで、約17年間にわたり津軽氏の居城として栄えました。この短い期間に、津軽藩の基礎が築かれたといっても過言ではありません。
堀越城は平城で、本丸を中心に二之丸、三之丸、外構といった曲輪が同心円状に配置された構造を持っています。本丸は五角形をなし、高さ約3メートルの土塁と幅15~20メートルにも及ぶ内堀に囲まれていました。東西に設けられた虎口や、木橋・土橋による動線は、防御と機能性を兼ね備えた戦国城郭の特徴をよく示しています。
昭和60年(1985年)に国史跡指定を受けた後、弘前市では1998年から2013年にかけて大規模な発掘調査を実施しました。その結果、礎石建物跡や門跡、掘立柱建物跡、水堀・土塁など多くの遺構が確認され、文禄期の大改修後の城の姿が徐々に明らかになりました。
発掘成果をもとに、弘前市では2012年から史跡整備事業を本格化させ、曲輪や堀、土塁の復元整備を進めてきました。整備が完了した区域から順次公開され、2020年(令和2年)4月には史跡全体が全面オープンを迎えました。現在では、散策しながら城の構造や当時の暮らしに思いを馳せることができます。
史跡東側には、堀越城跡の理解を深める拠点として、堀越城跡ガイダンス施設が整備されています。この建物は、かつて弘前市浜の町にあった津軽地方を代表する江戸時代の農家住宅「旧石戸谷家住宅」を移築復元したものです。平成27年度から平成30年度にかけて工事が行われ、令和6年(2024年)には青森県重宝に指定されました。
館内では、堀越城の歴史や発掘成果を分かりやすく紹介するとともに、古民家としての生活文化も体感できます。さらに、堀越城御城印やトートバッグ、ポストカードなどのオリジナルグッズ販売、足軽の鎧を身に着けられる鎧着付け体験(有料)も行われ、観光客に好評です。
堀越城跡は、弘前城跡や種里城跡とともに「史跡 津軽氏城跡」として一体的に指定されており、津軽氏の発展過程を立体的に理解できる貴重な文化遺産です。戦国の動乱を乗り越え、近世大名へと成長した津軽氏の足跡を感じられる場所として、歴史好きはもちろん、初めて訪れる方にもおすすめの史跡です。
静かな田園風景の中に広がる堀越城跡は、往時の喧騒を想像しながらゆっくりと巡ることができる、弘前市屈指の歴史観光スポットです。