バラ焼きの歴史
バラ焼きは、終戦とともに三沢基地が設立され、多くの米軍人が居住するようになった頃に誕生しました。米軍人は赤身中心の牛肉を食べる一方、内臓やバラ肉などはあまり食べなかったため、それらの部分が一般に安く払い下げられました。これらを使って「バラ焼き」が作られ、三沢の食文化が根付いてきました。
バラ焼きでまちおこし
十和田バラ焼きゼミナールは、このバラ焼きでまちおこしをしようと活動しており、自らを「バラ族」と称し、「ベルサイユのばら」をイメージしたタキシードという奇抜な衣装でバラ焼きをPRしています。ゼミナールの認定タレが完成したので、これを使えば家庭でも本場のバラ焼きを楽しめます。