甕杉の名の由来と歴史的背景
この木が「甕杉」と呼ばれるのは、水甕(みずがめ)を伏せたような形に見えることに由来しています。古くから人々に親しまれてきた名木で、宝暦年間(1751~1763)に作成された「関島両村図式」にもその記録が残されています。また、享和2年(1802)の古碑調書にもその名が記されており、長い年月にわたって地域の信仰と歴史の象徴であったことがうかがえます。現在では「亀杉」とも呼ばれ、地元の人々に大切に守られています。
霊場としての歴史と古碑群
関の甕杉の根元には、暦応3年(1340)から永徳元年(1381)にかけて建立されたとされる供養塔が42基も並び、「関の古碑群」として県史跡にも指定されています。これらの供養塔は、南北朝時代の信仰の深さを今に伝える貴重な文化財であり、この地が古くから霊場として敬われていたことを物語っています。
自然と共に生き続ける巨木
幹の中ほどからは数本の太い枝が力強く伸び、幹にはかつて蛇や小鳥が住みついていた丸い穴がいくつもありました。近年では周囲が整備され、スギを保護するための鎖柵が設けられています。千年もの長きにわたり、風雪に耐えながらも生命をつないできた関の甕杉。その姿は自然の偉大さと、時を超えて人々が木を敬い守ってきた心を感じさせます。訪れれば、静寂の中に息づく歴史と生命の鼓動をきっと感じ取ることができるでしょう。