青森県 > 八戸 > 根城

根城

(ねじょう)

根城は、青森県八戸市根城に所在する歴史的な城跡で、国の史跡に指定され、さらに日本100名城のひとつとしても選ばれています。南北朝時代に築かれ、約300年間にわたり八戸地方の中心として栄えたこの城は、現在では「史跡 根城の広場」として整備され、当時の面影を現代に伝える貴重な文化遺産です。

根城の概要

根城は、八戸市街地の西端、馬淵川南岸の河岸段丘上に築かれた連郭式の平山城です。本丸・中館・東善寺・岡前舘・沢里館の5つの館(曲輪)が連なる構造を持ち、現在では本丸・中館・東善寺の3つの郭が確認できます。本丸には、主殿・上馬屋・中馬屋・工房・鍛冶工房・板蔵・納屋・東門・西門・北門・番所などが復元され、往時の姿を知ることができます。

根城の歴史

南北朝時代の築城

根城は建武元年(1334年)、南朝方の武将・南部師行(なんぶもろゆき)によって築かれました。師行は後醍醐天皇の皇子・義良親王を奉じて陸奥に下向した北畠顕家に従い、この地に拠点を築いたとされています。師行は「南朝方の根本となる城」という願いを込め、この城を「根城」と名付けました。

中世の繁栄と衰退

師行の死後、その弟・南部政長が跡を継ぎ、以降も南朝方として奮戦しました。やがて室町時代に入り、南部氏の一族である八戸政光が根城に入り、ここを拠点に勢力を広げました。この頃、八戸地方は南部氏の重要な領地として栄え、根城はその中核を担いました。

安土桃山時代から江戸時代へ

天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐の際、宗家の南部信直が秀吉に帰参し、南部7郡の領有を認められました。このとき、根城南部氏(八戸氏)も宗家の支配下に置かれます。城は一部破却されましたが、館は存続し、八戸氏の本拠であり続けました。しかし寛永4年(1627年)、八戸氏22代・直義が遠野に移封され、根城は廃城となります。

近代以降の保存と復元

昭和16年(1941年)に国の史跡に指定され、その後、昭和53年から約11年間にわたり発掘調査と整備事業が行われました。平成6年には「史跡 根城の広場」として一般公開され、本丸跡には安土桃山時代の建物群が忠実に復元されています。さらに平成18年(2006年)には「日本100名城」にも選ばれ、全国から多くの歴史ファンや観光客が訪れる名所となりました。

史跡 根城の広場

復元された本丸では、当主が儀式を行った主殿を中心に、生活や政治、軍事に関わるさまざまな建物を見ることができます。・工房では鍛冶の道具や作業の様子・板蔵では保存食や物資の保管方法・納屋馬屋では当時の生活に欠かせなかった動物や農具などが展示され、実際にその場に立つことで中世の生活を体感することができます。

また、復元建物の内部には、正月の儀式を再現した展示や、日用品のレプリカが並び、当時の武士や人々の暮らしを学ぶことができます。まさに「生きた歴史博物館」といえる場所です。

見どころと楽しみ方

歴史好きにおすすめ

発掘調査の成果を忠実に再現した建物群は、戦国時代や中世史に関心のある方に特におすすめです。日本100名城スタンプラリーの対象でもあり、訪れる城郭ファンの必須スポットです。

家族連れにも人気

復元された城郭だけでなく、広大な芝生や自然に囲まれた環境は、子ども連れの家族にも人気です。学びながら体験できる展示が多いため、子どもたちにとっても歴史を身近に感じられる貴重な機会となります。

四季折々の風景

春には桜、夏には青々とした木々、秋には紅葉、冬には雪化粧と、四季ごとに異なる表情を見せる根城。歴史だけでなく自然も楽しめるスポットとして、多くの観光客を惹きつけています。

アクセス情報

所在地:青森県八戸市根城字根城47アクセス:・JR東北新幹線「八戸駅」から南部バス「司法センター経由」で約15分、「博物館前」下車、徒歩約5分・市街地からも車でアクセスしやすく、観光ルートに組み込みやすい立地です。

まとめ

根城は、南北朝時代から江戸初期にかけて八戸地方の中心として栄えた歴史ある城であり、現在は「史跡 根城の広場」として中世城郭の姿を現代に伝えています。国の史跡、日本100名城という二重の価値を持つこの地は、歴史ファンはもちろん、家族連れや自然を楽しみたい方にもおすすめの観光スポットです。八戸を訪れた際には、ぜひ足を運び、中世の息吹を肌で感じてみてはいかがでしょうか。

Information

名称
根城
(ねじょう)

八戸

青森県