中町こみせ通りの概要
行政上の路線名は黒石市道前町野添線で、地元では「こみせ」と呼ばれています。この「こみせ」とは、道路に面した町屋や商家の前に設けられた木柱と、その上にかけられた板張り天井のひさし状の屋根のことです。雪国である津軽地方ならではの工夫であり、冬の厳しい吹雪や積雪、夏の強い日差しから通行人を守る役割を果たしてきました。
通り沿いには、国の重要文化財に指定されている高橋家住宅をはじめ、歴史ある造り酒屋や蔵などが軒を連ねています。その町並みは2005年(平成17年)に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、さらに1987年(昭和62年)には「日本の道100選」にも選ばれるなど、その価値が広く認められています。
歴史的背景
黒石は、津軽為信の孫にあたる津軽信英が1656年(明暦2年)に弘前藩の支藩として黒石領主となったことから発展しました。中町はその黒石陣屋の東北に位置し、商人や職人たちが集う活気ある城下町として栄えました。特に中町こみせ通りは、宿場町としても機能し、旅人にとって欠かせない場所でした。
当時は弘前から青森へ通じる「浜街道」の一部であり、明治初期までは北海道へ向かう旅人の通り道でもありました。そのため、造り酒屋、呉服屋、米屋など多くの商家が軒を連ね、黒石城下の商業の中心地として大きな役割を果たしてきました。
「こみせ」の役割と構造
「こみせ」は、藩政時代に考案された木造のアーケードで、町屋や商家の軒の外側に設けられました。敷地は私有地ですが、屋根は本屋とは別に設けられ、隣家同士が連続することで通り全体を覆う屋根空間を形成しています。各家の所有者が維持管理を行い、通行人を守るために工夫を凝らしてきました。
現在では通路としての機能を果たすのみですが、かつては大通りに面した柱の間に摺り上げ戸をはめ込み、雪や吹雪から人々を守る構造になっていました。史料に「こみせ」の存在が記されている最も古い記録は1787年(天明7年)で、明治から大正時代にかけては前町から中町、さらに浜町のはずれまで広がっていました。その後、時代の流れとともに姿を消しましたが、現在は中町だけに集中的に残されています。
文化的価値と保存
中町こみせ通りは、黒石の歴史と文化を今に伝える貴重な空間です。商家や造り酒屋、蔵などの伝統建築物が立ち並び、訪れる人々はまるで江戸時代や明治時代にタイムスリップしたかのような感覚を味わえます。これらの景観が良好に保存されていることから、国や地域によって積極的に保護が行われています。
また、通りの近くにある中町かぐじ広場には、黒石にゆかりのある四大作曲家を顕彰する歌碑が設けられており、文化と音楽の両面からも黒石の歴史を感じることができます。
観光としての魅力
中町こみせ通りは、四季折々に異なる魅力を見せてくれます。冬にはこみせが雪から人々を守り、夏には日差しを和らげるなど、かつての人々の生活の知恵を実感することができます。さらに、周辺には黒石名物の黒石つゆ焼きそばを味わえる店や、地酒を楽しめる蔵元もあり、歴史散策とあわせて食の楽しみも広がります。
アクセス方法
中町こみせ通りへは、弘南鉄道弘南線黒石駅から徒歩10〜15分ほどで到着します。駅からのアクセスも良好で、気軽に訪れることができるのも魅力の一つです。
まとめ
中町こみせ通りは、江戸時代前期から続く日本でも珍しい歴史的なアーケード空間です。黒石市の城下町としての面影を今に伝える町並みは、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、日本の道100選にも選ばれています。訪れる人々は、古き良き日本の町並みを肌で感じ、地域文化や歴史に触れることができます。黒石を訪れる際には、ぜひ中町こみせ通りを歩き、時代を超えた景観と文化の息吹を楽しんでみてはいかがでしょうか。