記念館の成り立ちと外観
記念館の建築は、寺山修司と交流の深かったグラフィックデザイナー粟津潔氏のデザインをもとに、九條今日子氏をはじめとする「天井棧敷」の関係者の助言を受けて設計されました。延床面積は約833平方メートルで、展示棟とホワイエ棟が渡り廊下で結ばれた構造をしています。上空から見下ろすと、その形状は寺山作品に登場する「柱時計」を思わせ、館そのものが彼の芸術を象徴する存在となっています。
また、ホワイエ棟の外壁には149枚の陶板が埋め込まれており、寺山修司と親交のあった約30人から寄せられたメッセージや、彼の作品を題材にした意匠が施されています。外観そのものが一つの芸術作品のようであり、来館者を「テラヤマワールド」へと誘う独特の雰囲気を醸し出しています。
館内展示 ― 見て、触れて、体感する世界
館内では、寺山修司が主宰した劇団「演劇実験室・天井棧敷」の舞台や映画のセットが再現され、来館者は彼が生み出したアングラ演劇の世界を追体験することができます。特に特徴的なのは、11台の机の引き出しを懐中電灯で照らしながら鑑賞する展示で、まるで寺山の記憶や想像の断片を探し出すような独創的な仕掛けとなっています。
また、演劇や映画の実際の小道具、原稿、映像資料なども展示されており、単なる文学館という枠を超えて、寺山芸術の多面的な魅力を体感することができます。来館者は「見る」だけでなく「参加する」感覚を味わえるのが、この記念館の大きな特色です。
寺山修司の生涯と芸術活動
少年時代と文学の芽生え
寺山修司は1935年(昭和10年)12月10日、青森市で生まれました。幼少期に父を戦争で亡くし、母が働きに出たため、親戚の映画館「歌舞伎座」で育ちました。この環境が彼の想像力を育む土壌となり、早くから文学や芸術に傾倒していきます。高校時代には短歌や俳句を発表し、その才能を開花させました。
文壇デビューと多彩な活動
18歳のときに発表した『チェホフ祭』で短歌研究新人賞を受賞し、文壇に登場します。その後はシナリオライターとして活動を広げ、ラジオドラマ、映画、演劇、テレビと次々に新しい表現の場に挑戦しました。31歳のときには横尾忠則や九條映子らとともに「演劇実験室・天井棧敷」を設立。前衛的な演出と挑発的な舞台は国内外で注目を集めました。
「職業は寺山修司です」
詩歌や小説、映画、演劇、評論から競馬やボクシングまで、活動領域は驚くほど幅広く、彼自身が「職業は、寺山修司です」と語るほど。47歳で逝去するまで、常に新しい挑戦を続ける姿勢は、多くの人々に強烈な印象を残しました。
記念館周辺の見どころ
記念館から徒歩5分の小田内沼の畔には、1989年(平成元年)に建立された「寺山修司文学碑」があります。碑に至る散策路には歌碑が点在し、文学の小径として訪れる人々に静かな感動を与えます。また、隣接する三沢市歴史民俗資料館や、市民の憩いの場である三沢市民の森公園と合わせて巡るのもおすすめです。
利用案内
開館時間と休館日
開館時間は9:00から17:00(入館は16:30まで)です。休館日は毎週月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始(12月29日〜翌年1月3日)となっています。ただし、8月の第1〜第3月曜日は開館しているため、夏休みの観光にも利用しやすい施設です。
アクセス
記念館は三沢市民の森公園内に位置しており、自然豊かな環境の中で訪問者を迎えます。周辺には小川原湖や小田内沼といった観光スポットも点在しており、文学散策と自然散策を同時に楽しむことができます。
まとめ ― テラヤマワールドを体感する旅
三沢市寺山修司記念館は、単なる文学館にとどまらず、寺山修司という稀代の芸術家が残した「言葉と表現の実験場」そのものです。アングラでシュールな世界観を五感で感じることができるこの施設は、文学や演劇に興味のある方はもちろん、寺山を知らない方にも新鮮な驚きを与えてくれるでしょう。三沢の豊かな自然とともに、ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。