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八戸えんぶり

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春を告げる八戸地方の伝統芸能

八戸えんぶりは、青森県八戸市およびその周辺地域で毎年2月に開催される、春の訪れと五穀豊穣を祈願する郷土芸能です。約800年の歴史を持ち、長い冬を越えて春を迎える喜びを表現した祭りとして知られています。その荘厳かつ華やかな舞は、地域の人々の信仰と暮らしの歴史を今に伝えています。

八戸えんぶりの由来と意味

「えんぶり(朳)」という言葉は、田を均す農具「えぶり(朳)」に由来しており、田植え前の土を整える動作を象徴しています。初春の神事として始まったこの芸能は、豊作を願う「予祝行事」の一つであり、神々にその年の実りを祈るとともに、地域に春を呼び込む重要な行事として受け継がれてきました。

太夫の舞 ― 力強く美しい田植えの舞

えんぶりの中心となるのは、「太夫(たゆう)」と呼ばれる舞手たちによる舞です。彼らは馬の頭を模した大きな烏帽子(えぼし)をかぶり、頭を大きく振りながら勇壮に舞います。この動きは、稲作の一連の作業である「種まき」「田植え」などを象徴しており、豊穣を願う人々の想いが込められています。

舞の形式は「摺り始め」「中の摺り」「摺り納め」の三部構成になっており、それぞれが稲作の流れを表現しています。笛や太鼓、手平鉦(てびらがね)の音に合わせ、太夫たちがジャンギと呼ばれる棒を地に突き立てながら踊る姿は迫力満点です。

ながえんぶりとどうさいえんぶり

太夫の舞には、ゆったりとした動きの「ながえんぶり」と、軽快なリズムで踊る「どうさいえんぶり」の二種類があります。古来の形式を残すながえんぶりでは、「ごいわい唄」や「神酒いただき」が行われ、より神聖な雰囲気が漂います。太夫のリーダーである「藤九郎」の烏帽子には牡丹やウツギの花が飾られ、格式の高さを感じさせます。

子どもたちによる祝福芸

えんぶりの合間には、厚化粧を施した子どもたちによる愛らしい舞が披露されます。代表的なものに「松の舞」「恵比須舞」「大黒舞」などがあり、五穀豊穣や商売繁盛を祈願する内容が込められています。また、滑稽な動作で田植えの様子を表す「田植万才」や、曲芸風の「豊年玉すだれ」「金輪切」などの余興も見どころの一つです。

八戸えんぶりの歴史

その起源は鎌倉時代初期にまで遡ります。南部氏の家臣が甲斐の国(現在の山梨県)から移り住んだ際に伝えたとされ、八戸地方で独自の形に発展しました。江戸時代には旧小正月の行事として広く行われていましたが、明治維新後には一時的に禁止されました。その後、地元の有力者である大澤多門らの尽力により、1881年(明治14年)に長者山新羅神社の神事として復活しました。

以降、1897年(明治30年)には神輿渡御式も加わり、1909年(明治42年)には伊勢神宮の祈年祭に合わせて、現在の開催日である2月17日〜20日に定められました。

えんぶり組と開催の様子

毎年2月17日の早朝、30組を超える「えんぶり組」が長者山新羅神社に奉納を行い、八戸市中心部で一斉摺りを披露します。その後、市内各地を巡って「門付け」を行い、地域の人々と交流します。えんぶり組は八戸市を中心に、階上町・南部町・おいらせ町にも存在しており、総勢数百人が参加する一大行事となっています。

夜にはかがり火の中で舞う幻想的な「夜えんぶり」が開催され、特に国登録有形文化財の「更上閣(こうじょうかく)」で行われる「お庭えんぶり」は、格式高い空間で楽しめる特別な体験として人気を集めています。

文化財としての価値

八戸えんぶりは、その芸能的価値と地域文化の象徴として高く評価されています。1971年(昭和46年)に国の選択無形民俗文化財に選ばれ、1979年(昭和54年)には国の重要無形民俗文化財に指定されました。現在では、観光行事としての側面も強く、冬の青森を代表する「青森冬の三大まつり」「みちのく五大雪まつり」の一つとして広く知られています。

まとめ ― 春を呼ぶ祈りの舞

八戸えんぶりは、寒さ厳しい東北の冬を越え、人々が待ち望む春を告げる祭りです。力強い太夫の舞、子どもたちの笑顔、そして地域全体で受け継がれる信仰と絆。これらすべてが融合し、八戸の冬に温かな灯をともします。訪れる人々は、伝統の息吹とともに、春の訪れを肌で感じることでしょう。

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八戸えんぶり
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