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太宰治記念館「斜陽館」

(だざい おさむ きねんかん しゃようかん)

太宰治記念館「斜陽館」は、青森県五所川原市金木町にある文豪・太宰治の生家であり、現在は市立の記念館として一般公開されています。建物は1907年(明治40年)に完成し、2004年には国の重要文化財に指定されました。近代和風建築の代表例としても高く評価され、文学的価値と建築的価値を兼ね備えた施設です。

建設の背景と津島家の繁栄

「斜陽館」は、太宰治の父・津島源右衛門が建てた大邸宅です。源右衛門は明治期に金融業や商業で成功を収め、津軽地方屈指の大地主となりました。明治34年には県会議員、明治45年には衆議院議員、さらに大正11年には貴族院議員も務めるなど、政治家としても名を馳せました。また、金木銀行を設立し頭取に就任するなど、経済面でも大きな影響力を持っていました。

豪邸の建築費は当時の金額で約4万円、米7,000俵に相当すると伝えられています。設計は近代建築の名棟梁・堀江佐吉が手がけ、大工棟梁はその四男・斎藤伊三郎が担当しました。宅地は約680坪に及び、主屋をはじめ、文庫蔵、米蔵、中の蔵などの蔵群、庭園、赤煉瓦塀を備えた壮大な屋敷構えとなっています。

太宰治の誕生と少年期

1909年(明治42年)、この大邸宅で太宰治(本名:津島修治)が誕生しました。11人兄弟の10番目、6男として生まれ、13歳までこの豪邸で過ごしました。広大な屋敷や蔵、庭園での幼少期の体験は、のちの文学活動に影響を与えたとも言われています。

戦後の変遷と「斜陽館」への改称

戦後の農地改革により、津島家の所有地は失われ、邸宅も手放さざるを得なくなりました。1948年(昭和23年)に他家へ譲渡され、1950年(昭和25年)には旅館「斜陽館」として開業しました。館名は、太宰の代表作『斜陽』と、館内の襖に記された詩文「斜陽」に由来しています。

旅館時代には「太宰の生家に泊まれる」と評判となり、多くの文学ファンが訪れました。館内には太宰ゆかりの資料が展示され、観光地としても賑わいました。その後、旧金木町が建物を買い取り、1998年に改装・復元のうえ、現在の「太宰治記念館 斜陽館」として再出発しました。

展示内容と見どころ

太宰治に関する資料

館内には、太宰治が愛用したマントや執筆用具、直筆原稿、書簡などが展示されています。また、初版本や外国語に翻訳された書籍など、貴重な文学資料も公開されており、ファンにとっては見逃せない内容です。

豪邸としての建築美

「斜陽館」は建物自体も大きな見どころです。約680坪の敷地に、青森ヒバをふんだんに用いて建てられた木造2階建ての入母屋造り。外観は和風ですが、内部には銀行店舗や応接間など洋風の意匠も取り入れられた和洋折衷建築です。天井にはトラス構造を採用し、近代建築技術の一端を感じることができます。

文化財としての価値

主屋のほか、蔵群や赤煉瓦塀、庭園なども良好に保存され、津軽地方における大地主の屋敷構えを伝える貴重な遺構です。2004年には、建物全体が国の重要文化財に指定されました。文学的価値に加え、近代和風住宅の代表例としても大きな文化的意義を持っています。

斜陽館にまつわる逸話

1950年に旅館として再出発した「斜陽館」は、太宰ファンにとって憧れの宿となりました。1967年には吉永小百合主演の映画『斜陽のおもかげ』のロケ地にもなり、館内での撮影シーンが多くの観客に親しまれました。しかし、1980年代後半以降は宿泊客が減少し、経営難に陥りました。これを救ったのが旧金木町による買い取りであり、その後は文学記念館として生まれ変わりました。

交通アクセス

斜陽館は津軽鉄道線「金木駅」から徒歩約7分の距離にあり、アクセスも便利です。また、弘南バス小泊線の「斜陽館前」停留所からも下車すぐとなっています。津軽観光の際に立ち寄りやすい立地であり、多くの観光客が訪れています。

まとめ

太宰治記念館「斜陽館」は、文豪・太宰治の生涯や作品を知るうえで欠かせない場所であり、また津島家の繁栄と時代の流れを物語る文化財でもあります。豪華な近代和風建築と文学資料が融合したこの館は、青森県を代表する観光スポットのひとつです。太宰治ファンはもちろん、歴史や建築に興味を持つ方にとっても、訪れる価値のある施設といえるでしょう。

Information

名称
太宰治記念館「斜陽館」
(だざい おさむ きねんかん しゃようかん)

津軽

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